MEXICO LINDO  メヒコリンド

もくじ
メヒコリンド 第29号 2007年 冬


 

 

☆☆☆ メキシコの伝統的なクリスマス料理 ☆☆☆


 

口の約9割がカトリック教徒であるメキシコでは、クリスマスは一年でもっとも大切な日。その日は家族みんなで伝統的なクリスマス料理を食べながら、キリストの誕生をお祝いします。では、メキシコの伝統的なクリスマス料理とは、いったいどのようなものなのでしょう?

 ナポレス地区のご自宅にて、メキシコ料理のクラスを開かれている八田久美子先生を訪ね、実際にメキシコの伝統的なクリスマス料理を教わりながら、いろいろなお話を伺いました。

今回教えていただいたお料理は、バカラオ(干し鱈のトマト煮)、ロメリート(オカヒジキと干しエビのモレ)、エンサラダ・デ・ノチェ・ブエナ(ビーツとフルーツのサラダ)、そしてポンチェ・ナビデーニョ(黒砂糖とフルーツの温かい飲み物)。

メキシコ料理はスペイン料理の影響を大きく受けていますが、クリスマス料理のバカラオもその一つ。たっぷりのオリーブオイルでみじん切りにしたニンニク、玉ネギをじっくりと炒めます。その後、一晩水に漬けて塩抜きした干し鱈をほぐしたもの、荒く刻んだトマトを加えてさらに炒めます。最後にオリーブの実、ケッパー、アーモンド、イタリアンパセリ、チレ・ラルゴ、茹でたジャガイモなどを加えます。実はこの料理、ニンニクがたくさん使われているのですが、ニンニク臭さは全くありません。それどころかジャガイモと玉ネギの甘みやトマトの酸味、ピリッと辛いチレ・ラルゴが、干し鱈の塩分とうまくマッチして絶妙でした!また薄く切ったバゲットにのせてカナッペ風にして食べても、とても美味しかったです。

 ロメリートは、オカヒジキや干しエビ、ジャガイモ、ウチワサボテンなどが入ったモレです。モレはメキシコの大切なおもてなし料理ですが、私は今まで「モレ・コン・ポジョ」など、鶏肉の入ったモレしか食べたことがありませんでした。鶏肉ではなく干しエビの入ったモレは、一味違う風味があって、これまた絶品!「肉を使わないモレ」であるこのロメリートは、セマナ・サンタの時期にも食べられるそうです(セマナ・サンタ期間は、カトリックの習慣によりあまり肉を食べないそうです)。

エンサラダ・デ・ノチェ・ブエナは、ビーツ、レタス、サトウキビ、オレンジ、ライム、ヒカマなどのサラダです。ビーツやフルーツを形良く盛り付けたあと、ピーナッツやコラシオン(アーモンドやドライフルーツの砂糖がけ菓子)を飾ります。最後にビーツの茹で汁、オレンジの絞り汁、酢、塩で作ったソースをかけていただきます。このサラダは見た目もカラフルな上、レタスのシャキシャキ感やオレンジのフレッシュな甘さなど、見て食べて楽しむことができます。

 

1224日から前の9日間に行われるポサーダでふるまわれるのが、ポンチェ・ナビデーニョ。テホコテ(ヒメリンゴのようなフルーツ)、サトウキビ、グアバ、タマリンド、干しブドウ、リンゴなどたくさんのフルーツが入った温かい飲み物です。フルーツの爽やかな酸味と黒砂糖のやわらかな甘み、そしてシナモンとラム酒が香るやさしい味。もちろん、大人はたっぷりのラム酒を入れてもGOOD

ポサーダ:イエスが生まれる前、マリアとヨセフが宿を探して歩き回った様子を表した伝統行事で、夕方から夜にかけて行われます。冷えた体を温めるのに、このポンチェ・ナビデーニョは最高!

この他にも、七面鳥のオーブン焼きやパスタ料理を用意する家庭もあるそう。そして乾杯は、スペイン生まれのリンゴ酒sidraで。これらのクリスマス料理は24日の夕食に出され、それから夜遅くまでフィエスタが続きます。また、これらの料理は保存食の意味合いもあり、たくさん作っておくことで、主婦もクリスマスをゆっくりと過ごすことができるのです。「一年で一番大切な料理&保存食」という意味で、メキシコのクリスマス料理は日本のおせち料理に通じるものがありますね。       (.)

 

八田先生のメキシコ料理教室では、生徒を募集しています!

1コース6回の4コース+おもてなし料理コース6回。

全コース終了の方には、修了証を発行します。

4名以上のグループでお申し込みを!5536-4476

 

~動物と触れ合うことができ、工場での
製造体験もできるミニ・テーマパーク~
子供と一緒にGranja へ行こう!!


2005に行われたNHKのど自慢大会の会場となったCentro Banamexと競馬場(Hipdromo)と同じ敷地内に併設されたGranja las Amicasを、みなさんご存知ですか?

ここGranjaは農場として15種・150頭ほどの動物たちを飼育し一般開放するだけでなく、パン・Tortilla・牛乳にポテトチップスといった 日々私たちが消費している身近な商品の製造過程を、見学および体験できるミニアトラクションを設けることで、子供たちの知的好奇心の発達を促せるようにしています。

施設内は赤を基調とした建物に動物とミニアトラクションが共存しています。ミニアトラクション内は全て子供向けのものなので本物ではありませんが、臨場感はバッチリ。

 まずはBanamex銀行に立ち寄り、個人名を登録したカードをもらいましょう(もちろん、これもアトラクション!)。このカードを各施設に提示するとポイントがもらえ、それが貯まるとポイントに見合ったプレゼントを獲得することができます(有効期限は一年)。

このカードさえ入手したら、あとはお好みのミニアトラクションへどうぞ。たとえば左記の写真にあるようなTortilla屋では、おもちゃの機械を使ってTortillaを製造する過程の疑似体験することができます。帰りの際は本物のTortillaをお土産としてプレゼントされ、楽しさ倍増です。

全てのミニアトラクションでお土産がつくわけではありません)

 そしてGranjaらしい施設といえば牛乳のAlpura社のミニアトラクションがお勧め。生後2ヶ月ほどの子牛に触れることができ、また運がよければ一日4回(営業時間内は2回)行われている搾乳を目の前で実演してくれ、牛乳がいかにしてできるかこの目で確かめることのできる絶好の場です。ちなみに一回の搾乳で、1頭から612くらい絞れるそうです。想像できますか?

実際のところGranja=農場というイメージのみで当施設を訪問すると、動物がメインでないことにびっくりされるかもしれません。そして室内は基本的に大人の立ち入りが不可なので、身長80cm以上の子の入場が可能となっていても、小さいお子さんだと怖がってひとりで参加できないことも・・・

とはいえ、これらのミニアトラクションが充分に楽しめなくともポニー、羊、ヤギ、ウサギなどの動物は子供たちの興味を大いに誘うもの。ここの動物たちはとても清潔。また子供の背の高さで設けられた洗面台があちらこちらにあるので、触ったあとの衛生面でもOKです。

他にもミニゴルフや、安全ベルトをしめて登る本格的ロッククライミングなどの遊具もたくさん。一日中遊んで楽しめるところです。

 

住所: Blvr. Pila acceso 3 Col. Lomas de Sotelo

営業時間:火曜木曜 9時~17

金曜 9時~18

  土曜・日曜 10時~18

料金: 身長80cm以上の子供 130peso

17歳以上の大人 105peso

HP:www.granjalasamericas.com.mx

 

(M.A)

 

メキシコと近隣諸国事情 ~メキシコとアメリカの歴史~


キシコは古代文明やたくさんの世界遺産で有名ですが、近代国家としてのメキシコがどのように形成され、また現在より遥かに大きな領土を持っていたことをご存知ですか?今回は、植民地時代からメキシコ・アメリカ戦争までの歴史と領土の変遷についてご紹介したいと思います。

 

<植民地時代>

1529年、スペイン王室は新大陸に副王制をしき、司法行政庁(アウディエンシア)を最初の重要な植民地統治機関としてメキシコシティに設置しました。ついで1535年には広大な新大陸スペイン領を二分して治めた副王庁のひとつがメキシコシティに設置され、スペイン王室の植民地統治機構が整えられました。この頃のメキシコはヌエバ・エスパーニャと呼ばれていました。

 

<ブルボン改革>

ハプスブルグ王朝に変わってスペインを治めたブルボン王朝は、行政の効率化と国庫の増収を最大の目標として、貿易の自由化などの商業上の改革や新しい副王領の設置をはじめとする様々な政治的改革に着手しました(左図)。特にカルロス3(在位1759-88)の時代に積極的に実施された「ブルボン改革」と呼ばれる行政改革と産業振興政策は、18世紀のメキシコの発展に大きな影響を及ぼします。

改革はクリオーリョ(新大陸生まれのスペイン人)と呼ばれた上層階級に物質的繫栄をもたらしました。しかし一方、彼らは植民地経営や教会関係の要職から除外されている状況に不満をつのらせ、アメリカの独立およびフランス革命の影響を受けてメキシコ人意識に目覚めていったのです。

植民地支配の強化を目的とした改革は、皮肉なことに、クリオーリョによる独立運動を早める結果となりました。1810年に始まる独立運動は、本国スペインがナポレオンによって侵略されてスペイン王室の権威が失墜したことを契機として始まるのですが、18世紀初頭のメキシコではすでに独立への気運が高まりつつあったのです。

 

<七年戦争>

フェルナンド6世の後をついだカルロス3世の時代は、スペインを取り巻くヨーロッパ情勢が緊迫していました。そしてフェルナンド6世が没する直前の1756年にイギリスとフランスの間で7年戦争が勃発します。中立の立場をとっていたスペインですが、カルロス3世が王位に就くとフランス側について参戦しました。フランス・スペイン連合がイギリスに敗れた結果、1763年に結ばれた講和条約によってスペインは、フロリダとミシシッピ川以東の北アメリカの全ての領土をイギリスに譲渡しなければなりませんでした。しかし同時に、密約によりフランスからルイジアナを譲られます。その結果、スペインはミシシッピ川からロッキー山脈の麓にいたる広大なルイジアナを領有することになり、イギリス領北アメリカ植民地と接する長い国境を防衛しなければならなくなりました(右図)

 

<メキシコの独立>

1810916日の「ドローレスの叫び」で始まった独立運動は、独立の父イダルゴ神父によって率いられます。イダルゴが処刑された後は、モレロスによって引き継がれて1813年のチルパンシンゴの会議で独立宣言がなされました。しかしこの初期独立運動はやがて挫折し、メキシコがスペインから独立するのは1821年です。短命のイトゥルビデ帝政を経た後、1824年に憲法が制定されてメキシコは連邦共和国制を採用しましたが、この後約半世紀にわたって政治の混乱と経済の停滞が続きます。この間、弱体な連邦政府の下でカウディーリョ(地方軍閥)が政権を争い、中央集権主義者と連邦主義者、また教会擁立派と反教会派が対立していました。独立戦争そのものが、政治の実権を握るペニンスラール(本国から派遣されたスペイン人)の支配を不満とするクリオーリョの反乱という側面が強く、メキシコの独立は決して統合された独立国家の形成ではなかったのです。

 

<メキシコ・アメリカ戦争>

メキシコの独立後、国土の一部となったテキサス地方が人口過少のために北アメリカの入植者を歓迎し、30年代までには250003万のアングロサクソン人が入植しました。そして183632日、テキサスがメキシコからの独立を宣言するに至り、メキシコ政府とテキサス独立軍との戦いが始まったのです。

アラモの砦でサンタ・アナ将軍の率いる政府軍に惨敗したテキサス軍は、やがてサン・ハシントの戦いでサンタ・アナを捕らえ、彼の生命と引き換えに独立を達成します。しかし1845年、テキサスはアメリカに合併されます。

テキサス奪回を目指していたメキシコはこれに反対し、アメリカと交渉を行ないます。しかしその過程で、テキサスに出動していた両国の軍隊間で武力衝突が発生し、戦争へと発展したのです。これがメキシコ・アメリカ戦争です。

メキシコは戦争勃発まで国外に亡命していたサンタ・アナ将軍をメキシコ軍総司令官の地位に就け、アメリカ軍と果敢に戦いました。しかしメキシコ軍は中央高原地帯まで追い込まれ、同時にベラクルスから上陸したスコット将軍の軍隊にも敗れて首都メキシコシティの占領を許してしまいます。1848年、両軍はメキシコのグアダルーペ・イダルゴ村で和平条約を締結しました。これによってメキシコはテキサスに関する全ての主張を放棄すると同時に、テキサスから太平洋に至る広大な領土を1500万ドルでアメリカに割譲することになりました(左下図)

この未曾有の敗北の中で、1854年にアユトラ事変と呼ばれる政変が勃発して自由主義派が権力を握り、近代化を目指す諸改革法として「1857年憲法」が制定されました。個人の権利を尊重し、自由放任主義経済と政教分離を主張した自由主義派の人々は、この「レフォルマ」として知られる改革の時代を通じてメキシコ近代化の基礎を作ったのです。

 

<最後に>

国土の52%を失ったことにより、メキシコ人は自国の将来を悲観すると同時に、アメリカへの憎悪の念を深めるようになりました。植民地時代末期からメキシコの知識人にとってモデルであり賞賛すべき隣国であったアメリカへの思いは、根深い反米感情を含む複雑なものへと変化したのです。

メキシコ・アメリカ戦争において敗戦の将となってしまったサンタ・アナの名は、メキシコ人にとって忌むべきものとなってしまい、歴史上の有名人物の名も多く付くメキシコの道路の名においても、「サンタ・アナ」の名はどこにもついていないそうです。また、戦争に負け国土の大半を取られたというコンプレックスから、サッカーの国際大会においても、実力では格下であるアメリカにメキシコは勝つことが出来ないというジョークまであるそうです。         (S.O)

         

<参考文献>「概説ラテンアメリカ史」国本伊代 新評論 2001

「図説メキシコ」宮本雅弘 編 河出書房新書 2001

「メキシコの歴史」国本伊代 新評論 2004

「ラテンアメリカ」加茂雄三 他 自由国民社 1999

「ラテン・アメリカを知る事典」大貫良夫・落合一泰・国本伊代・

恒川恵市・福嶋徳・松下洋 監修 平凡社 1999

 

ときめきのドライブ旅行記 ~ハリスコ州テキーラ村へ~


の休暇は「美味しいテキーラを買いに行こう」と連れが言う。

ハリスコ州テキーラ村へだけれど、実のところ私の旅心からかけ離れた誘いで、とりたてて魅力を感じるものではなかった。

ハリスコとは元々・/font>砂地・/font>を意味するそうだ。でも私にとってのハリスコ州は、太平洋リゾートのプエルト・バジャルタだった。

それでも車やバスや列車で行く旅が好きな私は、その休暇を過ごす先を探しあぐねていた事も手伝って、いそいそと手配にとりかかった。

 

片道540km、旅の拠点グアダラハラまでのドライブの始まり。

浮かれてハンドルを握る連れの横で、私はといえば地図を開いてナビゲーター。のんびりしている暇はないのだ。

それなのに、車窓に過ぎ行く風景につかまってしまう。

収穫が終わった後の、薄茶色一面に広がるとうもろこし畑。牛が草を食んだり、のんびりとあぜ道を歩く姿。柔らかな日差しに包まれて休む人々。流れ去ってゆく秋の風景に、すっかり酔いしれていた。

中央高原地帯を伸びる道路に、ほんのり黄色に色づく並木があった。延々と続く背の高い木は、ポプラに似ている。

この日この場所には霧が立ち込めていた。ねぇ、ここは本当に太陽の国メキシコなの?白くぼんやりとした夢の世界は、どこか北の国にでも迷い込んだように幻想的。砂地へ向かう旅でこんな光景に出遭えるとは、思いも寄らなかった。

霧を抜け、スピードを上げていく。遠くに荒々しい岩山が見える。水を湛えた大きな湖には、行けども行けども追いかけられているみたい。

そして、遠く広く起伏に富んだ大地をぐるりと見渡した時、「あぁ、アメリカ大陸を走っているのだ」という実感が沸いてくるのだった。

風景に見惚れた数時間。いよいよ「Bienvenidos Jalisco」の看板をくぐる頃、枯れたとうもろこし畑は、青々と伸びるアガベ畑へと変わっていた。作物ばかりだった景色に建物が混じり始め、遠くの大きな街がゆっくりと近づいて来る。

メキシコシティに次ぐ第二の都市、グアダラハラだ。

この旅の拠点をグアダラハラに定めたのは、ここQuinta Real Guadalajaraに泊まりたかったからだ。

街外れの大通りの一角に位置するこのホテルは、賑やかな通りからは想像できない空間が待っていた。周りを石の塀で高く囲まれ、塀の中の敷地には静寂と重厚感のみが漂う。レンガや瓦が使われたクラシカルな石造りの低層の建物が、緑と花に溢れた庭のあちらこちらに点在し、客室棟やレストランとなっていた。

客室の基本はスイート。ゆったりとした部屋には10畳はありそうなバスルーム。白いフリルの付いたカーテンの奥に、大きなジャグジーバスが覗く。

人それぞれ宿へのこだわりがあるだろう。私のそれの一つに「深く大きな浴槽」がある。旅先でたっぷりの熱いお湯に浸かる楽しみは外せないのだ。ここには、私の思い入れを満たしてくれると共に、華やぎまでもが用意されている。

庭に出てみると、草花が、丁寧に手入れされていながらもナチュラルで心地良い。天使の石像が所々に置かれ、噴水の近くをハチドリが蜜を求めて飛んでいる。庭の一番素敵であろう場所では、何組かの花嫁と花婿が美しい衣装に身を包み、本格的な機材を前に写真撮影中。

優雅な空間、そしてホスピタリティ溢れるスタッフ、まさに・/font>憧れの・/font>という言葉が相応しいホテルだと思った。

 

テキーラ村へ出発の日は朝から晴天。暑くなりそうな気配だ。

ホテルから村まで約50kmの距離。

高速を下りて看板に従いながら車を走らせる。どんどんと下る途中、削っただけの肌剥き出しの岩壁が道の左右にそびえていた。地の果てまで来てしまったような気になる。

谷を下りきったところにアガベ畑が広がり、そこが村の入り口だった。

開けた街道には、お土産屋さんが立ち並んでいた。青い空と飾り気のない低い建物の列。いつか映画で観たような景色。

店の表には、ホワイトオーク材でできた空の樽が、大きさや形を変えて所狭しと陳列されていた。樽は一つ一つ違う絵が焼き付けられていて、頼めば名前も入れてもらえる。そして奥には何種類ものテキーラが用意され、暑い日差しを避けるために立ち寄れば、どうぞどうぞと試飲を勧められるのだ。名の通った銘柄のテキーラも5㍑のペットボトル入りで売られていて安い。

連れが樽とテキーラを選ぶ目は真剣だ。時間をかけ、アガベの絵が焼き付いた空樽と、蒸留後2ヶ月以上熟成させたレポサドのテキーラを購入した。好みの味が見つかったようだ。

樽をきれいに洗い、防水のために充分に湿らせたところでテキーラを注ぎ詰める。蓋を硬く閉めて日の当たらない涼しい場所に置いておけば、ほんの2週間ねかせるだけでも、味がより円やかに変わるのだそうだ。

重いテキーラを抱えながらも、夢見て胸躍らせる連れの足取りは軽い。どんな風味に仕上がるのか、私まで楽しみになってくるのだ。

村の外れを覗いてみる。その瞬間、驚きに心が鷲掴みにされてしまう。

暑く乾いて埃っぽい空気の中を、子供たちがボールを蹴り、その周りを犬が一緒に飛び跳ねている。古い石畳の通りの脇に並ぶ玄関の庇の下では、家の人が椅子を並べて座り、彫りの深い目で遠くを見つめていた。

私が恋い焦がれてきたメキシコの村の風景に、予期せぬこの地で出会ってしまったのだ。ゆるりとした時が流れている空間。ここには未だ何かが残っているような気がしてきて、不意に胸が熱くなる。

美しい稜線を持つテキーラ山の麓の村から、思いがけず深く心に響く贈り物を受けた私だった。

ガソリンを満たしたら、車の少ない内に走り出すとしよう。

「今度の旅、気に入ったでしょう?」と、誘いに気乗りしなかったはずの私に連れが言う。誇らしげな顔が少しだけ憎らしい。

ありがとう、本当にその通り。

休日の昼。メキシコシティへ戻る旅の始まりだ。

 

(Y.S)

 

~美味しいトロピカルフルーツがいっぱい!~
フルーツ王国 メキシコ


 

南米随一の果物の宝庫、メキシコ。皆さんの食卓にもマンゴーやパパイヤ、パイナップルといったお馴染みのトロピカルフルーツが上っているのではないでしょうか?メルカドでは安くて美味しいフルーツが沢山売っているので、つい買いすぎてしまいますね!

近頃日本でも大人気のマンゴー。メキシコで売っているマンゴーは4種類あります。御存じマニラマンゴー、そしてそれを更に大きくしたようなアタウロ、アップルマンゴーとも呼ばれ日本では高級品のパライソ、パライソを大きくしたようなペタコン。スーパーにはマンゴー専用のフォークも売られています。ヘタの部分にフォークを刺して皮を剥き、ナイフで切り込みを入れながらカブリつきます。こんな贅沢ができるのもメキシコならでは。(漆科のため稀にアレルギー反応を起こしたり、口の周りがかゆくなったりしますので食後はよく洗いましょう!)

トロピカルフルーツといえば欠かすことができないパパイヤ。メキシコではよく目にするラグビーボールほどの大きなパパイヤは、初めて見た時にその大きさに驚かれたのではないでしょうか?しかし、独特の癖があるため、日本人には小さいパパイヤの方がより好まれるかもしれませんね。

また、9月頃になるとあちらこちらで見ることができるトゥナ。団扇サボテンにポコポコ付いている姿はかわいらしいですね。トゥナには緑色と赤色の2種類あります。厚さ5mm程の皮をつるんと剥くと、中には果汁たっぷりの実。雨の少ない土地で育つためにたくさんの水分を蓄えているのでしょう。その果汁はとても瑞々しくて甘く、さっぱりとしており、くせになってしまいます。固い種も一緒に飲み込んでしまいましょう。そのまま食べても良し、ミキサーにかけて砂糖&水を加えて種を濾してジュースにしても良し。旬は過ぎてしまっていますが、メキシコらしさを味わえるトゥナをぜひ召し上がってください!ちなみに個人的には緑色の方が好きです。(肉眼では見えづらい小さなトゲが残っていることがあります。スーパーではトングを使って袋に入れて下さい。)

グァバジュースでお馴染みのグァヤバ。ハワイのグァヤバはピンク色ですが、メキシコのグァヤバはクリーム色に近い黄色です。香りがとても爽やかで思わずかぶりつきたくなります。グァヤバはこれからが旬、緑色が黄色になったものが食べ頃です。種も皮も気にせず丸ごと食べてしまいます。ミキサーにかけてジュースにしてもいいですね!便秘の方には嬉しいフルーツですが、食べすぎると逆効果になってしまいますので程々にしましょう。

また、どの季節にもお目にかかれる庶民の味方のバナナ。メキシコには色んなバナナがあります。中でも日本で馴染みのないのは調理用バナナのプラタノマッチョ。カレーに入れても美味しいですが、デザートとしても美味しく食べることができます。

プラタノマッチョを厚さ8mmくらいの斜め切りにし、キツネ色に素揚げします。油をよく切った後、cremaと砂糖をかけて出来上がり。バナナともさつまいもとも言えるような感覚で、女性には嬉しいデザートです。熱くても冷めても美味しいです。ぜひ試してみてください

メキシコでは多くの種類のフルーツが出回っています。メルカドをのぞいてみれば、今日もお気に入りのフルーツに出会えるでしょう。

 

((M.K)

 

 

レストラン紹介 ~Thai Gardens~


 

 回紹介するレストラン『Thai Gardens』はメヒコリンド第26号で紹介した「ポランコ・センター」のすぐ近くにある、ちょっとお洒落な雰囲気のタイ料理のレストラン。

 店内の様子は、タイの高級リゾートをイメージさせるような落ち着いた雰囲気で、女性の店員さんはタイの民族衣装を着てお出迎え。お料理の香りを邪魔しない程度に、ほのかにお香の良い香りが漂っています。

昼食は、1階席がアラカルタで2階席がビュッフェスタイル。今回は、ビュッフェで食事をしました。

ビュッフェといっても、ざわついた雰囲気はなく、落ち着いてゆっくり食事が楽しめるように、料理は座席のフロアから一段下がった位置に綺麗に並べられています。

 この日のメニューは、タイ料理の定番のトム・ヤン・クン(魚介のスープ)や、タイカレー(黄、赤)の他、炒め物(各種。野菜、肉、イカなど)が豊富にあり、どの炒め物も少し中華風で美味しい味付けになっていました。

揚げ物は、海老、鶏肉、豚肉、野菜の各種包みあげ風があり、数種類のタレからお好みで味付けが出来るようになっています。

米の粉で作られた細い麺(タイビーフン)やドライカレーもあり、どの料理も「辛いっ!」ではなく、程よいピリ辛でとても食べやすい物ばかり。またサラダバーもあって、野菜も豊富。

とにかく品数が多く、色々な料理、味が楽しめるようになっていました。

本場タイで、タイ料理を食べたことのあるメンバーによると、本場より酸味が弱くやや甘めな味付けだけど、美味しくて食べやすいという感想でした。

また、料理は日替わりで出す物が違うようなので、日によって他の味も楽しめそうです。

 デザートは、全体的にココナッツミルクを使用した物が多く、それぞれが一口サイズで色々な味が楽しめるように数種類あり、ジュース(リンゴ、オレンジ)もあります。

この日食べた物の中からのお勧めは、

「Flan de coco(ココナッツプリン)」・/font>口当たりやわらかで、一口サイズの美味しいプリン

意外な美味しさのデザートが、「Taro al leche de coco(タロ芋のココナッミルクがけ)」・/font>タロ芋のデザート、と聞くと食べるのを躊躇するけれど、「一体、どんな味?」とひと口試してみたところ、口あたりがよく甘さ控えめの芋羊かん風で、とても美味しく他の人からも好評の味でしたので、是非お試し下さい。

デザートも食べ、みんな満腹でしたが、最後にお茶(ジャスミンティー、緑茶、ローズティー)を頼み、さっぱりと今日の昼食を締めくくりました。

今までタイ料理をあまり食べたことがなく、イメージでは香りが強く食べづらい印象をもっていましたが、この『Thai Gardens』のタイ料理は、どれも程よい辛さで、日本人にとって食べやすい味付けになっていて、とても美味しくいただけました。「メキシコでタイ料理」是非、お出掛け下さい。

(また、持ち帰り用のメニューもあり、自宅でも、美味しいタイ料理が楽しめるようになっています)

(K., .U)

 Thai Gardens

住所Caldern de la Barca No.72, Col. Polanco

entre P.Masaryk y Emilio Casteral

(Parque Lincoln側から入ってすぐ左側)

電話:5281-3850

営業時間:月~水 14時~23

      木~土 14時~24

       日  14時~18

(ビュッフェは平日のみ14時~17時)

料金:ビュッフェは一人$280ペソ(ドリンク代別)

駐車場:バレット・パーキング有

 

MEXiCO LiNDOギャラリー ~表紙を語る~


 

今回のテーマは『グアダルーペの聖母』です。

"La Virgen de Guadalupe"

 

SAIDAI

 

鏑a Virgen de Guadalupe

 

La Virgen Santsima se apareci en el Tepeyac al Beato Juan Diego en el 9 de diciembre de 1531. Pidi que se construyera un templo en su nombre. Como prueba de su visita la Virgen milagrosamente hizo que en aquel lugar aparecieran preciosas rosas de Castilla y que su imagen se quedara permanentemente grabada en el ayate de Juan Diego el da 12 de diciembre. (Los ayates eran telas de fibras de maguey que se usaban en aquel entonces para llevar cosas.)

 La historia dice que Juan Diego, era un indio que iba caminando muy termprano a tomar clases de catecismo (religion catlica, ya que esto fue en plena evangelizacin de los espaoles, 10 aos despu駸 de la conquista de M騙ico), y en su camino vio a una Seora de sobrehumana belleza, cuyo vestido era brillante como el sol, ella le dijo que fuera con el obispo a pedir la construccin de un templo o una capilla.

En ese momento el obispo era Fray Juan de Zum疵raga. Con muchos trabajos el indio Juan Diego, logr hablar con 駘, pero 駘 no le crey, y volvi al lugar donde vio al la Virgen y le dijo lo sucedido pero ella insisti que volviera a ir, y la segunda vez que habl con el obispo todava no le crea, y el obispo dijo que necesitara una prueba para creer eso. Juan Diego despu駸 de su segundo intento fallado, ya no quera encontrarse a la Virgen, pues adem疽 un to de 駘 estaba muy grave en la capital, y tena que llegar pronto a verlo, por eso prefiri tomar otro camino diferente... pero la Virgen lleg hasta donde estaba 駘 y le dijo que no se preocupara por nada, ya que ella que est all, la madre de Dios, le ayudara, y su to se sanara.

Ella es tambi駭 la madre de todos nosotros, por eso le dijo a 駘 una frase que tambi駭 est grabada en la nueva Baslica de Guadalupe, ante la preocupacin y angustia de Juan Diego ella le dijo: ソ