昨年末メキシコシティが一年で一番寒い頃、子どもを出産しました。メキシコで初めての妊娠・出産を経験しあらためて感じたこと、それはメキシコ人の温かさ。
以前よりスーパーのレジで並んでいる時や、銀行の窓口の順番待ちで前後した見知らぬ人と挨拶したり、会話をしたり 。日本では久しく見かけなくなってしまったような他人との温かいふれあいが、ここメキシコでは息づいているのを感じていました。
妊婦時代、大きなお腹の私がバスに乗り込むと、先に座っていた人がサッと席を立ち、私に座席を譲ってくれ、また降りる時には「Baja-n!」と周囲の人が大きな声を出し運転手に知らせてくれたり、先に下りた乗客が手を差し伸べ、私が降りるのを手伝ってくれたりしました。
今、子どもが産まれてからは、メキシコのでこぼこ道を四苦八苦しながらベビーカーを押し、車道との段差で手間取っていると、近くを歩いている人が、サッとベビーカーの前輪を持ち上げてくれたり と、見知らぬ多くのメキシコ人の温かさに助けられながら、子育てをしています。
一歩街へ出ると、必ずと言っていいほど子どもに声をかけてくるメキシコ人。まだ自分も小さいのに「Bebé!」と赤ん坊の顔を覗き込んでくるメキシコ人の子ども達。そのせいか我が子は散歩が大好き。そして今日もまた、メキシコ人に声を掛けられるのを楽しみに、でこぼこ道にもめげず、散歩に出掛けます。
こうして多くのメキシコ人の温かさに見守られ、今後この子がどのように成長していくのかとても楽しみです。そして私もこれからの日々、忘れかけている温かい大事な何かを失くさぬように、メキシコで暮していきたいと思っています。
(Y.U)
2008年 春
アルカトラスの会
前回のメキシコとアメリカの関係に続いて、今回はメキシコと中南米の関係についてご紹介したいと思います。
《中米地域の分離独立》
19世紀初めの交通手段と通信事情から見ると、メキシコ中央政権体勢が機能するには多くの制約がありました。その結果、地理的に孤立していた地域は大枠では中央からの指示に従ったものの、現実に見合った独自の対応と運営を行っていました。
ヌエバ・エスパーニャ副王領南部にあたる中米地域は、エルサルバドル、コマヤグア(現在のホンジュラス)、レオン(現在のニカラグア)、チアパス(現在のメキシコ南部チアパス州)、コスタリカの地域区分に分けられて植民地統治されており、現在の中米各国の原型が出来上がっていました。1810年にメキシコ中央部で発生した独立運動は、この遠隔の地にも影響を与えます。
しかし、中米地域をひとつに統合する力量のあるリーダーが台頭せず、各地は混沌とした対立を続けていました。
メキシコで1821年イトゥルビデが独立を宣言すると、中米地域ではメキシコに合併されるべきか独立を目指すべきかで二分しました。その中でグアテマラは9月15日に独立を宣言するものの、翌1822年に中米地域がメキシコに合併されます。
メキシコが帝政へと移行すると、中米地域は1823年にメキシコからの分離独立を宣言して、チアパスを除いた地域が中米連合として独立しました。
ここでチアパスはメキシコに吸収され現在のメキシコ国境が確定しました。
《中米連邦とその歩み》
新生独立国家となった中米連合の建国の道は多難で、地域主義による対立に加えて保守派と新自由主義派が激しく対立し、内乱状態が続きます。その中で1824年に憲法を制定し、中米連合は中米連邦共和国となりました。
しかし1830年には連邦政府に対して、武装蜂起をしたホンジュラスのモラサンが政権を掌握、また1837年にグアテマラで発生したコレラの大流行によって社会混乱が起こり、1839年の大統領選挙が実施されないままに中米連邦共和国は崩壊してしまいました。
こうして中米地域は、それぞれコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの五つの小国に分離しました。
中米連邦共和国が長く存在できず分離してしまったのは、この地域が植民地時代に植民地支配の中枢から遠く離れていたため、各地で少数のクリオーリョによる寡頭支配体制が形成され、それらの統制力間の抗争がスペインからの独立によってかえって激しくなったからです。
とはいえ、1830年から1839年にかけて中米連邦の大統領の任にあたったモラサンは、中米地域の統合を目指して尽力し、今日でも「中米の父」とされています。
中米連邦の公式の終焉は、1841年にエルサルバドルが独立を宣言した時です。その後19世紀を通し様々な再統合の努力がなされましたが、どれもみな持続しませんでした。
1853年の10月から11月まで、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアにより中米連邦(Federación de Centro Amιrica)の結成を目指すも頓挫、再統合は1896年から1898年まで続き、これはエルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアによる大中米共和国(República Mayor de Centroamérica)の結成となりました。
最後の試みは20世紀初頭1921年から1922年にかけて、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスによる中米連邦の結成です。唯一、各構成国からの代表による連邦大統領の選挙が行なわれるにまで至りました。
崩壊後もこの地域の一体感は強く、1960年には他の地域内統合に先駆けて中米共同市場が発足するなど、現在でも統合の動きは強いものになっています。
《共同市場と経済協力体制作り》
中米共同市場はMercosur ; Mercado Común del Surと言われる南米南部共同市場として、南アメリカ諸国の関税同盟へと発展していきます。
南米での欧州連合(EU)のような自由貿易市場の設定を目的として、1991年にアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルの4カ国が調印し、1995年に発足しました。
現在、加盟国はアンデス共同市場(アンデス共同体)と相互に準加盟の形で協力関係にあり、南米共同体の実現に向けて活動中です。
メキシコはMercosur(南米南部共同市場)の加盟について、2005年にオブザーバーとして参加した首脳会議で、「準加盟」を正式に申請しました。
Mercosurは対外共通関税を設定する「関税同盟」ですが、メキシコが申請した「準加盟」とは、対外共通関税設定の義務は負わないという、実質的にはMercosurとの間で自由貿易協定(FTA)を締結することを意味していました。
Mercosurは正式加盟4ヵ国(アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル)に加え、チリ、ボリビア、ペルーが「準加盟」していて、「準加盟」は、NAFTA(北米自由貿易協定)をはじめメキシコが締結しているFTA(自由貿易協定:11協定、42ヵ国)の税率に影響を及ぼさずに、Mercosurのメンバーになれることになります。大統領は、Mercosurとの貿易自由化に関し、「メキシコはFTA交渉を行う準備ができている」と述べ、これまで構築してきた経済関係をFTAで深化させたい考えを示しました。
《おわりに》
ラテンアメリカ地域は地理的にも多様な世界です。カリブ海地域も含めると計33ヶ国からなる広大な地域で言語・文化において非常に強い共通性を有していることのほうがむしろ驚きです。
そして1960年代から再統合の動きが活発であり、Mercosurは米国主導のFTAA (米州自由貿易地域)構想を先行する、との期待も有ったほどだったのは、やはりこの地域がラテン系ヨーロッパの伝統文化を有し、ロマンス語系言語をそれぞれの背景として持つことからではないでしょうか。
世界で地域経済統合が進む中、経済においてメキシコは、北米のみならず南米との関係が今後より深くなっていくことでしょう。
参考文献
「概説ラテンアメリカ史」 国本伊代 新評論2001年
「図説メキシコ」 宮本雅弘 編 河出書房新書 2001年
「メキシコの歴史」 国本伊代 新評論2002年
「ラテンアメリカ」 加茂雄三 他 自由国民社1999年
「ラテン・アメリカを知る事典」 大貫良夫・落合一泰・国本 代・恒川恵市・福嶋正徳・松下洋 監修 平凡社1999年
(S.O)
長いドライブの末に目指すホテルにチェックインした私達は、疲れた身体をしばし休めて、町に繰り出すことにした。
ホテルからほんの2分も歩けば、そこがオアハカのソカロだった。
暴動の中心地だったこともあって荒んだ風景を想像していた私だったが、予想に反して緑豊かで外国人観光客が溢れていた。
何よりも、穏やかで楽しげな空気に包まれていた。
メキシコに暮らし始めた頃、知り合う人ごとに聞いたものだ。
「この国で、一番お薦めの旅先はどこですか?」
すると、多くの人から「それはオアハカ」と、答えが返ってきた。
しかし、肝心の当地では治安が悪化しているし、果たして駐在中に訪れることが出来るのか、私と連れは焦る気持ちで動向を見守った。
当地が次第に落ち着き、実際に旅してきた人が現れ始めた。
休暇を待ってようやく念願の地に立った、という訳だ。
この町の何がどう良いのか、私なりに答えを出してみたいと思っていた。
ざっと見渡したソカロは、スペイン植民地時代の名残をとどめた造りで、どこにでもありそうに格子状に道が延びていた。
けれど、ソカロを一歩離れた通りには、コロニアル調の低い建物が、ピンク・黄・青などの色とりどりに彩られて並び、どこかしら独特な雰囲気を漂わせていた。そして、澄んだ青空や強い陽射しが風景に強いコントラストを生み、その光と影が、都会には無いのんびりとした空気を作っていた。
「あぁ、ここはメキシコなのだ」と思った。
先住民比率が高い州都として知られるオアハカ。町の中には彫の深い顔を持つ人々が往来していて、そんなことがメキシコを旅していることを実感させるのかも知れなかった。
ソカロから600㍍離れた所に立つサント・ドミンゴ教会を覗いてみた。
教会は、スペインによる征服の象徴でもある。が、入り口をくぐった途端に目に飛び
込んでくるのは、工芸技術に長けていたミシュテカ人が彫った「生命の木」で、それらが天井を覆うように黄金色に輝いているのだった。
また、大きなメルカドを歩いてみれば、この地ならではの多種多様な品物を見ることができて、つい長居することとなる。
手作り雑貨はカラフルで精巧だし、私の好きな編カバンは、手先の器用な先住民によって、どの町の品よりもデザインが凝っているように思えた。
器用さを問えば、オアハカの近郊に点在する村の観光も楽しい。
黒い陶器の産地、毛織物の産地、南北アメリカ最大の木・トゥーレを誇るなど村自体に見所があって、古くから伝わってきた細やかな作業の文化が、生活を支えている。各々の村の人たちは昔ながらの風習の中で暮らし、陶器や織物などの民芸品を作って売っているのだ。
それら作品とも呼べる出来栄えにうっとりし、気が付けば両手いっぱいにお土産を持つ私だった。宝物を手にしたような喜びを感じた。
滞在中、町では死者の日のイベントを催していて、とても賑わっていた。
四角いソカロを取り囲むように、数々の祭壇が設置され披露されていて、その祭壇ごとにマリーゴールド、とうもろこし、飾り蝋燭、骸骨型の置物などが、原色溢れる伝統的スタイルのものから、シックな色合いに包まれた現代風で個性的なものまで様々に飾りつけられ、一つずつに作者の名前が記されていた。
日が沈み夜がやってくると、一層賑やかなソカロへと変わる。美しいオレンジ色にライトアップされた中を仮装音楽パレードが行われるのだ。現地の小さな子供から大人までが悪魔や天使や骸骨に姿を変え、音楽隊と共に町を練り歩き、その後ろを観光客がついて行く。私達はソカロに面したレストランのテラス席に陣取り、華やかな夜のそれをぼんやりと眺めた。
オアハカには国内有数のゲラゲッツァ祭りがあるが、時期を外した訪問だったので、その祭りを見ることは出来なかった。
が、偶然に出会ったこの死者の日のイベントも、先住民文化を色濃く感じることができる季節の祭事で、11月の秋の景色にしっくりと溶け込んでいた。後に知ったが、この祭事もとても有名らしい。
さて、旅先でその地の美味しいものを注文し、料理を口に運んでどうのこうのと評価をするのは本当に楽しいものだ。
私と連れにとって、旅に外せないものといえば「食」である。
オアハカは、そんな私達を満足させてくれる町でもあった。
D.F.のスーパーでも、手にする機会の多いオアハカ風チーズ。本場本物は、より色が白く繊維が細やかで、噛めば濃厚なミルクの味が口いっぱいに広がっていく。まだ柔らかいチーズの塊を、細長いひも状に伸ばして巻いていく。似たようなものをスーパーで売っているが、あまりの風味の違いだ。
チョコレートも名物で、精製されていない素朴な伝統製法を町の店頭で見ることができた。
カカオ・砂糖・シナモンなど、数種類の材料を機械の上部入り口に放り込む。下部出口から、全てがすり潰され艶のあるこげ茶色の半液状のものとなって、どろりと流れ出てくる。
できたての熱々を火傷覚悟で味見させてもらうと、初めて口にする香辛料豊かで深い味わいに、衝撃を受けることとなるのだ。
町のレストランでは、無糖のオアハカチョコレートを使ったモーレ・ネグロの煮込み料理が、名物料理としてメニューに用意されていた。
ほろ苦さと複雑なスパイスの風味とで、鶏肉を煮込む料理だ。
いなごのような虫を煎ったおつまみもあった。お酒の好きな人にはやはり名物のメスカルが待っているし、甘くコクのあるピーナツを肴にしても良い。
この地ならではの伝統料理はもちろん、よくあるアラチェラやワカモレさえもとても美味しくて、さすがに食で名を馳せる町であり、旅の醍醐味を与えてくれる町だと思った。
初めてこの国に来た時、近代的な街並みや白人の多さに思い描いてきたメキシコ像が崩れてしまった私だった。でもオアハカには今も先住民文化がそこかしこに残り、想像した通りのメキシコを感じる事ができる。
オアハカこそが、この国で一番メキシコらしい町なのかも知れない。
異国情緒が旅する人を魅了する町。私のこの町への答えである。
(Y.S)
人でごった返す土日と違って、平日のコヨアカン セントロは地元の人がのんびりと行き交い、夕方にはイダルゴ公園の中央にあるキオスコで近所の腕自慢が集まり、チェス大会が始まる皆の憩いの場です。
フリーダ・カーロの生家や、レオン・トロツキー博物館、エルナン・コルテスが居を構えた場所など、歴史あるコヨアカンには先祖代々この土地に住んでいる人や、「どうしてもコヨアカンに住みたくて」と移り住んで来た人などが多く、人を惹きつける魅力がいっぱいです。
また、パルマス、ポランコ、サンタフェなどとは雰囲気が違う庶民的なコヨアカンには、具だくさんの美味しいメキシコ料理が食べられるお店、ちょっと歩き疲れた時に生ビールで乾杯!など、気軽に入れるお店がたくさんあります。
どうぞこの地図を片手に散歩がてら、ふらっと出掛けてみてください。
※コヨアカンと呼ばれる地域は広く、今回はコヨアカン セントロに焦点を当てて、地図と主立ったお店などを載せましたが、イダルゴ公園内にある、キオスコ前のインフォメーションセンターには、コヨアカン全体の地図が置いてありますので、興味のある方は訪ねてみてください。
~~~レストラン・ショップ紹介~~~
♪レストラン(飲食店)♪
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1 ★ |
La esquina de los milagros |
担当者イチ押しレストラン。色々な中から具が選べる土鍋メニューが絶品。 |
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2 |
LA CUEVA DEL CANGREJO |
メキシコ料理。$135でビールも選べるシーフ-ドのpaquete(セット)があります。 |
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3 |
EL GUARACHE |
メキシコ料理、desayunoの時間からOK。 |
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4 |
ENTRE VERO |
パスタ、ピザが食べられるイタリアンレストラン。 |
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5 |
Los Danzantes |
メキシコ料理 |
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6 |
Cafetería Frida |
メキシコ料理 |
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8 |
El Carrode Coyoacán |
レストラン&バー |
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9 |
El Campeón |
タコス |
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15 |
La Casa de Tacos |
タコス |
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19 |
Café Kowloon |
パンも売っている、中華料理レストラン。 |
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20 |
Grifaldo |
BaquettesとCrepasメニューが豊富です。 |
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21 ★ |
Meson del Buen Cunar |
ビールの種類が豊富で、生ビールも飲めます。 |
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23 |
La Selva Cafetería |
カフェ |
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25 |
El Kiosko de Coyoacán |
アイスクリーム |
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26 |
Café del Barrio Liejo |
カフェ |
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27 |
Elotes y Esquites |
チュロス、トルタなどのメニューがありますが、店内に席は2つだけです。 |
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28 |
Siberia |
カップの大きさは5つの中から選べます。果実フレーバーがメインです。 |
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30 |
Oh Mayahuel |
オープンテラスと吹き抜けのロケーションがとても気持ちのいいレストランです。 |
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31 |
The Italian Coffee |
カフェ |
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32 |
el sacristan |
レストラン |
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33 |
el hijo del cuervo |
カクテルの種類が豊富なバール |
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35 |
Taquería La Fe |
タコス |
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36 |
Las Nieves de Coyoacán |
アイスクリーム |
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37 |
El Kiosko de Coyoacán |
アイスクリーム |
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38 |
Tortas Coyoacán |
トルタ(メキシコのサンドウィッチ) |
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39 |
Adyliz Café |
チアパスのオーガニックカフェです。 |
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42 |
Pays Coronado |
ケーキ |
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44 |
La Guadalupana |
バール |
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47 |
El Caracol de Oro |
カフェ |
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49 |
fabios |
2F部分がレストラン。 |
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50 ★ |
Gloria |
担当者お勧めのアイスクリーム屋さん。生果物を使ったアイスが絶品。 |
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52 |
Fonda El Morral |
メキシコ料理 |
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53 |
Villa Coral |
ここではいつでもChile en Nogadaが食べられます。 |
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56 |
Café El Jarocho |
地元でも有名なおいしい立ち飲みコーヒー屋さん。 |
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57 |
Santa Clara |
アイスクリーム |
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58 |
Como a la Antigua |
タマレスやパン、ドーナツを売っている小さなお店。 |
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60 |
Churrería de Coyoacán |
コヨアカンで数あるchurreríaの中でもここが一番。ノーマルは4本入りで$10。 |
★ 担当者お薦めのお店です
♪ショップ♪
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7 |
EL PARNASO |
本、CD。ディスカウントの本も豊富で、良く探すと掘り出しモノが見つかるかも。 |
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10 |
(不明) |
ちょうちん、プレゼント用品、駄菓子など売っている。他にもいろいろ。 |
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11 |
Las Bolsas deCoyoacán |
皮製品、服。 |
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12 |
Librería Coyoacán |
本 |
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13 |
Minerelia A |
ビーズ、天然石、アクセサリーのチェーン店。 |
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14 |
Taji Mahal(artesanía y objetos) |
文字通り、オリエンタル雑貨。入り口は狭くても奥に広がる広い店内には、ビーズ、アクセサリーを始め怪しげな雑貨まで品数豊富。 |
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16 |
Gandhi |
本 |
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17 |
RODA |
靴 |
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18 |
EL TRENECITO |
ゲームセンター。昔懐かしい、Méxicoなのに昭和感漂うゲーセン。2Fにはミニ電車も走っています。 |
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22 |
Tarot |
2階。文字通り、占いの館。 |
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24 |
Regalos HANSEN |
民芸品 |
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29 |
Sanborns |
レストラン、本、雑貨。 |
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34 |
BAZAR y CAFETERÍA MORELIA |
cafeteríaというのは、名前だけ。盆栽も置いているアンティークショップ。 |
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40 |
Escritorio Público |
鍵 |
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41 |
Farmacias Cimilares |
薬局 |
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43 |
Plaza San Juan |
小さなショッピングモール。アイスクリーム屋やいろいろなショップが入っています。 |
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45 |
El Globo |
パン、ケーキ |
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46 |
La Casita |
雑貨。ちょっと大きな家具から小物まで、センスのいい物が揃っています。 |
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48 |
América |
食料雑貨。店内には、酒屋、パン屋、鳥の丸焼きまで、色々買いそろえる事が出来ます。 |
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51 |
Farmacia Coyoacán |
薬の他に、KODAKとちょっとしたプレゼント用品も扱っています。 |
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54 |
Decoraciones Coyoacán |
雑貨、プレゼント用品。プレゼント用品の他に、fachada用陶器やドールハウス等の手芸用品が豊富。 |
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55 |
DABO |
本、文具、おもちゃ、オフィス用品。 |
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59 |
Orpla Joyería |
アクセサリー |
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61 |
Librería el Sótano |
本 |
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62 |
Tecni-Hogar |
鍋、日用品、家電ならなんでも修理が可能。 |
(K.K
Y.H)
ソチミルコにあるドローレス・オルメド美術館が他の美術館と趣を異にしているのは、そこが昔La
Noriaと呼ばれた広大な荘園だったことでしょう。荘園は1538
~68年にかけて建設されたもので、17世紀にかけて何度か修復されました。
植民地風の建物と広大な土地を1965年、実業家ドローレス・オルメド夫人が、膨大なコレクションを収納するために買い取り家族と共に暮らします。1977年に彼女はソチミルコ地区会長に選ばれました。同地区には教師だった母親が建設し寄付した保育園があり、彼女の母の名前がつけられていました。また、ドローレス・オルメド夫人は、サンタ・クルス・アカルピクサ考古学博物館の開設に尽力し、さらには青少年教育センターの建設に敷地を寄付し、地元に大きな貢献をしました。
ドローレス・オルメド(1908~2002)は、ディエゴ・リベラ(1886~1957)と25年間という長い歳月、強い信頼で結ばれていました。彼女は1957年、ディエゴが亡くなる数ケ月前に、ディエゴ・リベラ信託財団の運営を任され、彼の多くの作品や考古学収集品の管理を委ねられます。
時を経て1988年、ドローレス・オルメド・パティニョ基金の設立が認可され、50年以上に亘る彼女のコレクションが散逸することなくメキシコに残ることになります。さらにはドローレス・オルメド・パティニョ美術館信託財団が創設され、ディエゴ・リベラの絵画145点、フリーダ・カーロの作品25点、アンへリーナ・べロフィの作品42点、600点の考古学遺物、4千冊の図書などが美術館に保存されることとなりました。1994年9月17日より、ドローレス・オルメド・パティニョ美術館は一般に公開され、今日に至っています。
美術館内は12室に分かれて展示されています。Sala 9はフリーダ・カーロの作品、Sala 12はディエゴの最初の妻でロシア人のアンへリーナ・べロフィの作品、Sala 3はマヤの考古学遺物、またSala 4はオルメド夫人の暮らしが偲ばれるCocina(台所)、Sala 11はメキシコ各地の民芸品の展示室です。
しかし、ドローレス・オルメド美術館の最大の特徴はやはり、ディエゴの生涯を見渡すことが出来る膨大な作品群でしょう。
展示はPintura mural(壁画)、Retratos y autorretoratos(肖像画と自画像)、Puestas de sol(夕日)、Litografía(リトグラフ)、Dibujo(スケッチ)、Cubismo(キュービズム)に分かれています。ここではディエゴの多くの作品のうち、二つだけを紹介したいと思います。
ディエゴは1906年にスペインのトレドに留学して以来、19年間ヨーロッパに滞在します。1917年の作品「Cuchillo y fruta frente a la ventana」(窓辺のナイフと果物)は、パリ時代にアンへリーナ・べロフィとの間に出来た息子を僅か14ケ月で亡くした深い悲しみの中で描かれました。78年後の1995年、ニューヨークのオークションにかけられたこの絵は、ドローレス・オルメド夫人により落札されました。そして今、Sala 10のキュービズムのコーナーにあります。
もう一つ、1957年ディエゴが亡くなる年に描いた最後の作品「Las sandías」(西瓜)は、完成するとただちにドローレス・オルメド夫人が買い取りました。この絵はSala 3 のマヤ遺物のコーナーで見ることができます。
ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロのことは、彼女の画家としての名声が上がるにつれて映画にもなり、本も出版されて大変に有名ですが、またもう一つの物語がドローレス・オルメド夫人との間にもあります。メキシコ国民のために、ディエゴ・リベラの芸術作品が散逸することなく後世に残るように終生力を尽くしたドローレス・オルメド夫人との交流です。彼女の生涯もまた、とてもこころ惹かれるものです。
見学を終え庭に出ると、広大な庭園にはメキシコの明るい日差しが降りそそぎ、樹木や花々が日差しに映えて綺麗です。孔雀や七面
鳥やアヒルやアステカ犬もいて、のんびり過ごしています。時にアステカ犬たちが子供たちの歓声に興奮して、柵の中を走り回る姿は精悍です。
お喋りしながら歩いている私たちのすぐ横
を、手を伸ばせば届く近さで一羽の孔雀がすまし顔で通り過ぎていきました。見学者を信用してくれているんですね、とてもこころが和みます。
ドローレス・オルメド美術館には、ゆったりした静かな時間が流れています。忙しい日常からちょっと離れて、ドローレス・オルメド美術館を訪ねてみませんか。きっと楽しい一日となることでしょう。
(F.K
H.K.)
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Museo Dolores Olmedo Patiño 住所:Av.
México 5843 La Noria, Xochimilco |
レストラン紹介 ~Dawat - Indian Restaurant & Bar~
今回は、ポランコ地区にあるカジュアルなインド料理のお店をご紹介します。
パラシオデイエロの南、マサリクから静かな横道に入ったところにある、オレンジ色の外観が目印のインド料理店『ダワット』。ここでは、ややアラブ風な洗練された雰囲気の中で、インド人シェフの作る本格インド料理を楽しむことができます。
こちらのお店はメニューが豊富なので、私たちは何品か注文して、みんなで分け合うことにしました。
席につくと、ナマパラという小麦粉とクミンを混ぜて揚げた、小さなスナック風のおつまみと4種類のソースが添えられでてきました。
前菜は、サモサVegetable
Samosa (48ペソ)とケバブをいただきました。
サモサは一口大のアツアツの包み揚げで、中身は、ジャガイモとグリーンピースをマッシュしたもので香辛料が効きピリ辛で、とても美味しかったです。
カレーは25種類(各60~150ペソ)、具によりチキン、ラム、野菜、シーフードの4種類に分かれています。
Bhidi Masala(オクラのカレー 65ペソ)大きめの柔らかいオクラと、玉ねぎがたっぷり入った優しい味のカレーで、野菜好きの方にお勧めです。 Kadai Fish(魚のカレー 125ペソ)揚げた白身魚が入っていて食べやすいです。 Mutton Tawa Masala(マトンのカレー 110ペソ)お肉が柔らかく、シラントロが効いています。 Kadai Chiken(チキンのカレー 105ペソ) 赤いトマトソースベースの中辛チキンカレーでした。
カレーと一緒にライスとナンを注文!
ご飯も数種類、釜焼のナン(焼いている所を見ることもできます)も、プレーンの他にガーリック味など3種ありました。Steamed White rice (48ペソ)は、パラパラッとした白いご飯、Butter Naan(18ペソ) は、溶かしバターが、ナンの上にかけられコクがあります。Garlic Naan (35ペソ) は、生地にみじん切りのガーリックが練り込まれ、ほんのりガーリック風味です。このお店のナンは、パリッとした薄い石焼ピザ風でした。
カレーは、サラッとしたルウに、どれも多くの材料を煮込んである本格的なカレーで、スパイスのきいたピリ辛のものもありますが、今回頼んだものはどれも、程よい辛さのものが多かったです。お好みでライスかナンと一緒に召しあがってみてください。とっても美味しく頂けます。
その他に飲み物には、インドのヨーグルトドリンク、ラッシーがあります。
それもマンゴー(35ペソ)や甘口、塩味(28ペソ)、お酒(テキーラとウォッカ)入りという珍しいものがありました。Lassiの甘いヨーグルト味は、カレーの辛さと絶妙の組合せです。お勧めはテキーラ入り、口当たりがよくカクテルのようでした。
最後にデザートとチャイで締めくくりました。チャイはシナモンの入ったミルクティーで、さっぱりと飲みやすく、食後によく合いました。
値段もリーズナブルなうえ、メニューも豊富なこのお店。カレーが食べたくなったら、ご家族やお友達と出掛けてみてはいかがでしょうか?
今回は大勢で行って分けたので、前菜からポストレーまでいただきましたが、2人でいく場合は、カレー1人1つとナン、飲み物で十分お腹いっぱいになると思います(200ペソほど)。また持ち帰りも出来ますので、お土産にもお勧めです。
(Y.I K.K)
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「Dawat」 住所:Seneca 31 |
MEXiCO
LiNDOもついに30号!そこでメンバーOBにアンケート
メキシコ&MEXiCO LiNDOを振り返って
2000年春に創刊されたメヒコリンド。この8年間でメヒコリンドに関わったことのある人は約40人にものぼります。その大半はすでに帰国してしまいましたが、今も連絡が取れるメンバーOBにアンケートを取り、当時のことを振り返ってもらいました。
まず、メヒコリンドが創刊された当時のメキシコはどんな様子だったのでしょう?「ブラジルサンパウロからの直接の赴任だったのですが、高物価のブラジルに比べて、生活費がとにかく安いことに驚きました。治安の悪さや大気汚染などの問題はあったものの、景気は良く、ペソも安定していました(A.M
00~02)」
その後「スーパーで売られる野菜の鮮度が上がり、STARBUCKSの上陸、PERIFÉRICOの2階の建設、TURIBUS登場、空港の再開発 と『成長真っ只中』というメキシコの姿があちこちで見られました」と語ってくれたのはK.Eさん(03~07)。
H.Tさん(00年)は、おしゃべり好きな、シティオの運転手さん達との思い出話を披露してくれました。「親しげに、娘のキンセーナのフィエスタに来ないかと誘う人もいれば、一時帰国したらソニーのテレビを買ってきてくれと頼んでくる人、それから、米墨戦争でアメリカに領土を取られたと憤慨するアメリカ嫌いの人も。シティオの運転手さんと話をするのは、ものすごくエネルギーを使いました(吸い取られた?)」
そして、メキシコの魅力や印象を語ってくれたOBたち。「メキシコの魅力はその複雑さ。歴史、政治、風土、文化。均質な日本との違いに魅かれる(A.Y 05~07)」「『なんでもありのメキシコ』とよく言われます。いい加減、寛容、どちらなのかわかりませんが、暮らしやすい国でした(M.N 01~04)」「短い間だったけど、メキシコでの生活は驚きの連続。振り返ると、素晴らしく楽しいことや大変で辛いことが渾然一体となっています(Y.I 05~06)」「広く、明るく活気のある国。とても楽しく暮らせたこと、感謝!(A.S 03~05)」
日本や他の国から見たメキシコは?「最近、スーパーでメキシコの農産物をよく目にする一方で、まだ一般の人のメキシコのイメージはサボテン・テキーラなどしかない。もう少し、本当の姿が知られるようになれば (E.K 00~03)」「05年よりアメリカ在住。アメリカをメキシコ的な視点で見ています。がんばっているヒスパニックの人を見るたびに、心で応援しています。アメリカもメキシコも大好きA